『嫌われる勇気』も長い間図書館で予約待ちしてやっと順番が回ってきた人気本。
タイトルを聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。
予約を入れておきながら、わたしはこの本がアドラー心理学の本とは知りませんでした。
哲人と青年の対話で展開する物語
以前、ユングに凝ったことがあって、何冊か心理学の本を読んだことがあるんですが、読んだときは何となくわかったような気になるんですが、少しも身につきませんでした。
アドラーについては恥ずかしながらまったく知りませんでしたが、『嫌われる勇気』は哲人と青年の対話で展開する物語なので、おもしろく一気に読むことができました。
心理学ってこういうものだったっけ? という感じになりました。
心理学というと、とくに病んだ精神を分析研究したものと勝手に解釈していたところがあって、好奇心がそそられる反面、どことなく胡散臭い気がしてたんですよね。
ところが、『嫌われる勇気』のアドラー心理学は哲学っぽいというか、ほとんど哲学。
アドラー心理学はおもしろい哲学?
登場人物である哲人も次のように述べています。
わたしは哲学者です。哲学に生きる人間です。そしてわたしにとってのアドラー心理学とは、ギリシャ哲学と同一線上にある思想であり、哲学です。
また、著者のひとり古賀氏のあとがきには、
「人は社会的な文脈においてのみ、個人となる」といった話はまるでヘーゲルのようであり、客観的事実よりも主観的な解釈を重んじるあたりはニーチェの世界観そのものであり、その他フッサールやハイデガーの現象学に通じる思想もふんだんに盛り込まれています。
とあります。
哲学といえば、「幸福とは?」「生きるとは?」といった根本的で答えのない難題を突き詰めて考える学問と思っていたんですが、この『嫌われる勇気』では青年と鉄人の対話を通し、身近で具体的なテーマがおもしろく展開されていきます。
こうしたスタイルも、じつはソクラテスの思想をかつてプラトンが対話篇にしていることにならったもので、哲学の伝統スタイルなんだそう。
昨今は、これさえあれば解決!といったハウツー本がもてはやされますが、簡単には満たされないし、割り切れないのが人間。
たとえ明快な結論に届かなくても、考え続けることをじつは求めているところがあるのかもしれません。
読み終えたとき『嫌われる勇気』というタイトルの意味が深く心に沁みます。
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