マルクスの『資本論』は読めていません。
ただ『希望の資本論』(池上彰、佐藤優)を読んで『資本論』に興味を持ちました。
池上彰、佐藤優の両氏は、今こそ『資本論』を読むことをすすめています。
マルクスの『資本論』というと、共産主義の革命論のようなことが書かれているものと漠然と思っていたのですが、思っていたのとは少し違うようです。
『希望の資本論』では、マルクスの『資本論』以上に資本主義のことを考察し、その限界を明らかにしているものはないと言います。
マルクスの『資本論』は、150年以上前の1867年に第1巻が出された古典です。それなのに現在わたしたちの目の前で起こっている資本主義社会の行き詰まりをまるで見てきたことのように言い当てていると言うのです。
わたしたちが今どっぷりはまっている資本主義とはどういうものなのか?
わたしたちがこの資本社会でこれから生き抜くためには、そもそもこの資本主義社会とはどういうものなのかを知るところから始めなければ対処のしようがないではないか、と語りかけています。
家計管理は経営だ!
わたしは長年主婦として家計管理を任されてきました。
結婚したのが1990年10月、バブル崩壊と言われているのが1991年3月~1993年10月と言いますからちょうどバブル末期です。好景気時代に育ち、それがあたりまえのことと思っていたわたしの家計管理はずさんなものでした。
その頃に資本社会の仕組みが今くらいわかっていたら、もう少しやりようがあったのではないかと悔やまれます。
オットの給料は上がり続けるものだと思っていましたし、購入したマンションの価格でさえ、上がり続けると信じていたのですからあきれます。(当時は中古マンションでも購入時より値上がりすることが頻繁にあったからです。)
景気というのは上下するものというあたりまえのことがまったくわかっていませんでした。
それ以前に買わなきゃ損とばかりに無理なローンを組み、まったく身の程知らずなマンションを購入してしまったのも無知だったからです。
それなのに当時、お金のことがよくわかっている方だと思っていたのですから傲慢にもほどがあります。
どうして自分の無知に気づくことができなかったのか。
いくらそんな時代だったと言われても、やっぱり馬鹿だったとしか思えません。
家計管理がうまくできないことに気づいてはじめて、わたしは家計管理をなめていたことに気づきました。
都合の悪い、知りたくないことは知らなくていい、そんな姿勢でちゃんと向き合うことをしてこなかったツケがいよいよ回ってきたのだと思いました。
家計をうまく回していくことは、事業を安定して継続させる経営と同じくらいたいへんなことなんだという自覚に欠けていました。突然思いもよらないトラブルが発生する事態はある程度想定しておくべきですし、万が一の危機的状況においては、立て直す手段を学んでおくべきだったのです。
家計管理というのは、それはもう一大事業なのであって、それが暮らすということなのだ、とようやくうすうすわかってきたのはずいぶん後のことでした。
ときには「知りたくなかった」なんて思うこともないではないですが、知らないことは自慢になりません。知って得することはあっても損することはないんです。
わたしは『希望の資本論』を読んでつくづくそう思いました。
資本社会を生き抜くために
わたしたちはこの資本社会から抜けて生きることはできません。
世界には、まったくお金を使わない生活にチャレンジしている人がいるようですが、わたしには無理です。そしてこれからも当分この資本社会は続きそうです。
そんな中、消耗しないで生き抜くには、資本主義にすっかり取り込まれて自分を見失わないことが大事になります。
簡単に言うと、何でもお金に換算してしまう社会とは別の、お金には換えられない世界というものを持つことです。
とはいえ、資本社会で暮らしていく限り、お金を無視することはできません。お金のために働く時間も必要ですし、お金が足りなくて我慢することも出てきます。
それでも人間お金のためだけに動くものではありません。お金にならなくても、喜ばれたいとか役に立ちたいという思いがあります。また、お金とは無関係に感謝する気持ちも持っています。
そういう資本社会とは別の価値観を見失わないことで、わたしたち人間の精神は資本社会から守られ、バランスよく暮らせるということを知りました。
この資本主義社会だけがすべてではないことを知るのです。
そしてふっと自分の立ち位置を客観的に見ることができれば、現実は何も変わらなくとも、元気を取り戻す一息がつけるような気がします。
今の世の中が息苦しい、先行きに不安を感じている今こそ、資本主義社会の仕組みを学ぼうという『希望の資本論』の提案に、わたし自身希望をもらった気がしています。
おかし